東京地方裁判所 昭和37年(ヨ)2163号 判決 1965年7月23日
申請人 高山則男
被申請人 株式会社時事通信社
主文
本件申請を棄却する。
申請費用は申請人の負担とする。
事実
第一申立
申請代理人は、「申請人が被申請人に対し労働契約上の労働者の地位を有することを仮に定める。被申請人は申請人に対し金四、四六三円及び昭和三七年四月一日以降本案判決確定の日に至るまで月額金一九、一二五円を毎月二三日に仮に支払え。」との判決を求め、被申請代理人は、主文と同旨の判決を求めた。
第二申請の理由
申請代理人は、申請の理由として、次のように述べた。
一、被申請人は、日刊新聞の発行、ニユースの供給、書籍雑誌等の出版その他の事業を営むことを目的とする会社であり、申請人は、昭和三四年四月一般編集記者として被申請会社(以下、「会社」という。)に雇傭され、昭和三五年三月まで第一編集局経済部に、昭和三五年四月から昭和三六年一一月まで主として外勤記者として勤務し、昭和三六年一一月以降出版局書籍部に勤務していたところ、被申請人は、昭和三七年三月二三日付の書面で、「同年三月二二日総務局長らから既に説明した事由によつて貴下を会社職員懲戒規程第四条、第五条、第六条及び第九条により懲戒解雇に付する」という意思表示(以下「本件解雇」という。)をし、右書面は同月二四日申請人に到達した。会社職員懲戒規程第四条は職員が職務怠慢で勤務に誠意を認め得ないとき(同条第三号)、勤務に関する手続や届け出を怠り、またはいつわつた届け出をしたとき(同条第四号)等の一に該当するときは、原則として戒告またはけん責に処する旨の規定であり、同第五条は、職員が報道および論評に当つて会社の編集方針に違反し、もしくは記事内容を故意に侵す行為のあつたとき(同条第一号)、会社の内外を問わず職員としての体面を汚すような行為をしたとき(同条第六号)その他会社の諸規則または諸規程に違反し前各号に準ずる行為をしたとき(同条第八号)等の一に該当するときは、原則として減俸または出勤停止に処する旨の規定があり、同第六条は、職員に第五条該当の行為があり、その情状が重いと認められたとき(第六条第一六号)等の一に該当するときは原則として懲戒解雇に処する旨の規定があり、また同規程九条は、同時に二種以上の懲戒に該当する行為があつたときは「一、同一種類の懲戒に該当する行為をした場合は一級重く処分する。二、異なる種類の懲戒に該当する行為をした場合は事情によりその中の重い処分よりさらに一級重く処分する。」旨を定めた規定である。
二、ところで申請人が、同月二二日会社の上村総務局長から説明を受けた解雇事由というのは、「三年間君の様子を見ていたが、一向に教育の効果があがらなかつた。また、こんどは新保守党史の校正に際し、社の方針に反して著作の原文を自分の意見でなおしたり、原文とはなれた別の言葉をさしはさんだりしている。これは懲戒解雇の規程にふれる。」というにすぎない。たしかに、申請人は、その直前である同年同月一七日頃、書籍部員として会社の出版書籍である宮本吉夫著「新保守党史」の校正を行うにあたり、校正刷の原文に明らかに歴史的事実に反すると認められる記述があつたので、これを史実に則して加筆訂正すべき旨岡沢書籍部次長に進言し、次長に容れられなかつたので、一度加筆、訂正した箇所を抹消して原文に戻したことがある。しかし、右の行為はジヤーナリストとしての社会的重責を自覚する申請人がその信ずるところを上司に具申したというだけであつて懲戒処分の事由となるべきいわれはない。よつて、本件解雇は、解雇権の濫用として無効である。
なお、右解雇当時における申請人の賃金は、月給金一万九、一二五円で、支給日は毎月末である。
三、従つて、申請人が右解雇の意思表示に拘らず、被申請人に対し引続き労働契約上の労働者の地位を有することは明らかであるのに、被申請人はこれを否定し、申請人に対し昭和三七年三月分の賃金のうち金一万四、六六二円を支払つたのみで残余並びに同年四月分以降の賃金を支払つていない。よつて申請人は、被申請人を被告として解雇無効確認、賃金請求の本訴を提起すべく準備中であるが、本件解雇後はなんらの収入もなく、本案判決の確定を待つていては、著しい損害を蒙る虞がある。そこで申請人が被申請人に対し労働契約上の労働者の地位を有することを仮に定め、なお被申請人が申請人に対し、昭和三七年三月分の賃金金四、四六三円及び昭和三七年四月一日以降本案判決確定の日まで月額金一万九、一二五円の割合による賃金を(将来に属する分は毎月二三日かぎり)仮に支払うべき旨の仮処分を求めるため、本件申請に及んだ。
第三被申請人の答弁
被申請代理人は答弁として次のとおり述べた。
一、申請の理由一の事実は認める。同二の事実のうち、申請人主張の日上村総務局長が申請人に対し同人の行動が懲戒事由に該当することを説明したことは認めるが、その説明の内容が申請人主張のとおりであつたことは否認する。また、申請人がその主張の頃、宮本吉夫著新保守党史の校正を行うにあたり、その校正刷の原文を一旦加筆訂正し、その後これを抹消復旧したことは認めるが、それは申請人がほしいまゝに施した極めて多数の加筆、改変中一個所だけについて岡沢次長に議論をしかけた結果、同次長から、右の個所は勿論その他の個所にも同様の加筆、改変があれば全部もとのとおりになおすことを命ぜられ、相当多数の個所について加筆、改変を抹消したけれども、全部抹消復旧したわけではない。その他の事実については、本件解雇当時における申請人の賃金及び支給日が申請人主張のとおりであることのみを認め、その余は否認する。同三の事実のうち、被申請人が申請人の労働契約上の地位を否定していること、被申請人が申請人に対し昭和三七年三月分の賃金として金一万四、六六二円を支払つたことは認めるがその余の事実は否認する。
二、会社は昭和三七年三月二二日上村総務局長から申請人に対し、申請人の後記1「校正中の原稿改変及び命ぜられてもこれをもとに戻さなかつた行為」を主たる懲戒事由とし、後記234の各行為をも従たる理由として附加説明させた。
1 申請人が宮本吉夫著「新保守党史」の校正刷りに改変を加えた部分及びそのうち岡沢次長に命ぜられて復旧した部分としなかつた未復旧の部分とは別表のとおりである。なお、そのほとんど全部は、誰でもが原文を誤りと認め得るような客観的事実に反した誤謬の訂正ではなく、結果において著者の解釈や意見の改変となるような訂正である。会社は、同一の入社試験を受けた者を一般記者と出版関係部員とに、本人の希望にとらわれず、適宜割り振つており、また出版局書籍部員の多くは報道関係の仕事から移つて来た者であるが、未だかつて校正の際に申請人のような原文の改変を行つた者はない。
2 申請人は、会社京都支局に勤務中、昭和三六年八月ズボンを着用せずトレーニングパンツをはいて出社し、その姿で取材先に行くので支局長が注意したが、「ズボンは洗濯に出した。」といつて約一週間これを改めなかつた、また同年一〇月頃になつてもネクタイを用いないで取材先に行き、支局長に三度注意されたのに同年一一月になつてもまだこれに従わなかつた。
3 申請人は、同年一一月一一日会社に本社出版局書籍部勤務を命ぜられ、赴任を承知しながら、支局長を無視して直接東京の書籍部長あてに、母が重病のため赴任がおくれる旨の電報を打つて、相変らず京都支局に出社した。しかし母が重病であるというのは真実でなかつた。
4 申請人は同年一一月二五日ようやく東京に赴任したが、三月までに下宿整理、目の診療、風邪等の理由で九日欠勤があり、その他にも執務中にいなくなる日があつたばかりでなく、出勤している時も校正の仕事にあき易く、すぐ椅子にのけぞつたり席を立つたりしていた。
会社は、申請人が校正中の原稿を改変し命ぜられてもこれをもとに戻さなかつた前記1の行為は会社の職員懲戒規程第五条第一号、第六条第一六号に、そうでないとしても同第五条第八号、第六条第一六号に該当するから申請人を解雇したのである。会社の職員就業規則第四条には「職員は個人としては思想や政治上の立場において自由でなんら拘束されないが、社務を遂行するにあたつては個人としての思想や政治上の立場にとらわれてはならない。」と定められているにかかわらず、申請人が前記のとおり、校正中の原文を改変し、命ぜられてもこれをもとにもどさなかつた行為は、右規則に違反するからである。なお、前記2の行為は会社の職員懲戒規程第五条第六号に、前記34の行為は同規程第四条第三号に、また前記3の行為は同規程第四条第四号にそれぞれ該当するから、23及び4の行為を、または23及び4の行為に前記1の行為をあわせたものを、それぞれ懲戒事由とし、同規程第九条第二項を適用して懲戒したものであることを予備的に主張する。
第四被申請人の答弁に対する申請人の反論
申請代理人は被申請人の答弁に対して次のとおり反論した。
一、申請人が昭和三七年三月二二日宮本吉夫著「新保守党史」校正刷りの六九頁について岡沢に進言したのは同頁にとくに顕著な史実の歪曲が見出されたからであるが、なお、その他に同五三頁の「社会党右派」を「民主社会党」に訂正すべきである旨も進言している。しかし申請人は、岡沢次長から訂正個所の復旧を命じられたことはない。申請人は、加筆訂正した校正刷りを示して岡沢次長に前記のように進言し意見を求めたのに対し、同次長は「それでは著者と相談してみよう」と答えたので、その口ぶりからみて到底申請人の進言の容れられる余地はないと判断して、他の頁について進言することを断念し、加筆訂正した各箇所のうち被申請人主張の部分を復旧したのである。申請人の本件加筆訂正は校正刷の原文に含まれていた多数の歴史的事実に反する記述を史実に即して加筆訂正すべきものと考えてしたものであり、仮に、申請人の本件加筆訂正が校正者としての職責を超えたものであつたとしても、申請人は一般編集記者として会社に入社したものであつて出版記者として入社したものではなく、専ら編集記者としての業務に従事中、出版局に配置転換され、以来三ケ月余を経過したゞけで、なんら出版記者としての教育指導も受けないまま放置されていたものであるのみならず、出版局において同僚が校正刷りに同様な加筆訂正をしているのを日常目撃していたのであるから、その責の大半はむしろ会社が負うべきものであつて申請人が負うべきものではない。
二、被申請人主張の第三、二23及び4の事実はすべて否認する。右3の電報に関する事情は次のとおりである。会社では転勤の場合にはすくなくとも一個月前に上司から本人にその旨内報し、本人に十分準備をさせた上正式発令をするのが慣行である。ところが、被申請人は、申請人に対し事前の内報もせず、いきなり昭和三六年一一月一一日に同月一〇日付の転勤命令を交付し、同月二〇日までに東京の本社出版局に着任することを命じた。申請人は京都郡部の家族宅から通勤していたが不便なために権利金、礼金等金三万円余を支払つて市内の支局近くのアパートに転居して二ケ月にもならないときに突如右転勤命令を受けたのであつて、転勤のための準備も一〇日間では無理であり、しかも当時父親は脳溢血で病臥中、また母親もその看病と老齢のために衰弱が甚だしかつたので、赴任の期限を延長する許可を支局長に求めたが、拒否されたため、やむなく本社書籍部長あてに電報を打つた上、同月二五日に東京の本社に着任したものである。
三、それだけではなく、被申請人が申請人に対してした本件懲戒処分は職員懲戒規程の適用を誤つたものである。その理由は、仮に申請人の本件校正刷に対する加筆、訂正の所為が校正の範囲を越えたものであつたとしても、右所為は「報道」又は「論評」に際して行われたものではなく、「記事内容を故意に侵す行為」にもあたらないから職員懲戒規程第五条第一号に該当するものではなく、また被申請人主張の23及び4の各所為は異なる時期に関するものであつて、「同時に二種以上の懲戒に該当する行為があつたとき」に適用される同規程第九条第二項に該当するものでもないからである。
第五疎明<省略>
理由
一 申請人が、昭和三四年四月日刊新聞の発行、ニユースの供給、書籍雑誌等の出版等の事業を営むことを目的とする被申請会社(以下会社という)に一般編集記者として雇傭され、昭和三五年四月から昭和三六年一一月まで主として外勤記者として勤務し、同月以降出版局書籍部に勤務していたが、昭和三七年三月二三日付書面をもつて会社から、「新保守党史の校正に際し、会社の方針に反して著作の原文を自己の意見でなおしたり、原文からはなれた別の言葉をさしはさんだりしたこと等前日上村総務局長から説明した理由で解雇する」という本件解雇の意思表示を同月二四日受けたこと、当時、申請人の賃金は月給金一万九一二五円で、その支給日は毎月末であつたが、申請人は昭和三七年三月分の賃金として被申請人から金一万四六六二円の支払を受けただけで、同月分残及び同年四月分以降の賃金支払を受けていないことは、いずれも当事者間に争がない。
二 申請人は、本件解雇が解雇権の濫用で無効であると主張するので、以下これを判断する。
1 新保守党史の校正刷であつて校正のための記入は申請人がしたものであることにつき争いのない疎乙第一号証の一ないし一一、証人岡沢孝晴の証言及び申請人本人尋問の結果(一部)を前記当事者間に争いのない事実と総合すると会社が申請人に対して本件解雇に及んだ事情として、次の事実が疎明される。
申請人は、昭和三七年三月頃会社出版局書籍部員として、宮本吉夫著「新保守党史」校正刷の第一回校正に従事しているうち、著者の承諾を得ないで、右校正刷四九頁ないし七〇頁の原文に本判決末尾添付の別表(以下単に別表という)のような改変を加え、同月一六日午後四時頃当時書籍部次長であつた岡沢孝晴に対し、「前記校正刷のうち六九頁ないし七〇頁の最初の部分である、『ソ連は、すでにその年の二月に開かれたヤルタ会談において秘密に米、英、華との間に対日戦に参加の決定を行ない、ただその時期を選ぶことだけが残され、ポツダム宣言にも事実上参画しながら作戦上これを秘していたのにすぎなかつた。』という原文は、ソ連がすでにヤルタ会談において米英との間に独ソ戦終結三個月後にソ連は自動的に対日戦に参加することを決定していた歴史的事実に反する解釈を導くおそれがあるから、『ソ連は、すでにその二月に開かれたヤルタ会談においてルーズベルトの発案で米、英、華との間に対日戦に参加の決定を行ない、その時期を独ソ戦終結後三ケ月後にすることに意見が一致していた。ポツダム宣言にも事実上参画しながら連合国側の作戦上これを秘していた。』と校正すべきである」と主張して、赤色ペン字で加筆訂正して既に右のように改変を加えた箇所を示したところ、岡沢次長から、「著者が自らの立場からその表現をよいと考え、自らの責任で書いた原稿を、著者名を明らかにして出版することを著者に対して会社が約束した以上、校正者の意見で著者の承諾を得ないで改変することはできない」と諭されたのにも拘わらず、なおも自説を固執し、遂に岡沢次長から、「この問題は著者に相談して善処するからとりあえず、現に示した改変個所のみならず、同種の改変を加えた箇所が他にあればこれらもともに全部復原するように」と命ぜられるに至つた。しかし、申請人は、同日午後五時の終業時刻までに前記「新保守党史」第一回校正刷に加えた改変部分のうち別表最下段に「復」と表示された分を復原しただけで、残余の分は復原しなかつた(申請人が宮本吉夫著「新保守党史」の校正刷りに改変を加えた部分、そのうち復原した部分としなかつた部分がいずれも別表のとおりであること、及び申請人がすくなくとも右新保守党史校正刷中前記改変部分を昭和三七年三月一六日岡沢書籍部次長に示したことは、いずれも当事者間に争がない)。申請人本人尋問の結果のうち、以上に反する部分は採用しない。なお、申請人は、以上のほか岡沢次長に対し前記校正刷五三頁「社会党右派」を「民主社会党」、と訂正すべきであるとも進言したと主張するが、これにそう申請人本人尋問の結果の一部は証人岡沢孝晴の証言に照して採用することができず、他に右の事実を疎明するに足りる資料はない。
2 ところで、会社職員懲戒規程第五条に、職員が「報道及び論評に当つて会社の編集方針に違反し、もしくは記事内容を故意に侵す行為があつたとき、」(第一号)「その他会社の諸規則または諸規程に違反し前各号に準ずる行為をしたとき」(第八号)等の一に該当するときは原則として減俸または出勤停止に処する旨規定され、同規程第六条には職員が「前条(第五条)に該当する行為があり、その情状が重いと認められたとき」(第一六号)等の一に該当するときは原則として懲戒解雇に処する旨規定されていることは、いずれも当事者間に争がなく、また、会社の職員就業規則第四条に「職員は個人としては思想や政治上の立場において自由でなんら拘束されないが、社務を遂行するにあたつては個人としての思想や政治上の立場にとらわれてはならない。」と規定されていることは疎乙第二号証によつて明らかなところである。
思うに、被申請会社のような報道、出版の事業を目的とする会社において、記事の作成、編集、校正等基幹となる作業に従事する従業員は、会社から特段の指示があれば格別、然らざるかぎり、自己の思想或は政治的立場をはなれ、客観的に事実を報道し、正確に記者または著者の思想を伝達することに努むべきことはわが国現時の通念に照らし極めて当然のことであつて、必ずしも就業規則の定めをまつまでもない。被申請会社就業規則第四条はこの当然の事理を明記したにすぎないと解すべきである。殊に、校正は、その字義の如く、原稿と印刷物とを比較対照してその誤りを正すのが本来の目的であるから、それ以上にいでること、すなわち、原稿そのものに存する誤訳、制限外漢字或は旧かなずかいの使用、固有名詞、地理上の表現、年代等に関する明らかな誤謬の如きを訂正することは、その権限ある者(たとえば、署名記事、若しくは単行著作物においては、それぞれ署名者若しくは著作者)の同意を事前に得たとき又は事後にこれを得ることができると確実に予想されるとき以外、なすべきことではなく、まして、原稿に盛られた署名者若しくは著作者の認識又は意見を、校正者がその思想や政治上の立場から見て不当とし、自己の認識又は意見により改変するが如きことは、署名者若しくは著作者に対する単なる非礼に止まらず、校正に名をかりて原著作物を侵すことにほかならない。従つて、出版業者たる被申請会社の従業員がことさらに右のような改変を敢えてするときは、前記就業規則に違反し、情状によつては前記懲戒規程の定めるところに従い処分されても致し方ないものといわなければならない。
3 そこで、前記1の事実が懲戒解雇に値するか否かについて検討するに、先ず、申請人は、本件加筆訂正は校正刷の原文に含まれていた、明らかに歴史的事実に反する記述を史実に即して加筆訂正したものであると主張するが、申請人が、(一)前記「新保守党史」第一回校正刷原稿五五頁「ポーランドの進攻を開始」を「ポーランドの侵略を開始」と改変したのは客観的事実に即して訂正したのではなく、ヒトラーの行為を進攻と見た著者の見解を自己の見解によつて改変したものであり、(二)同六〇頁「北部仏印に進駐した。」を「北部仏印を侵略した。」と改変し、(三)同頁「南部仏印進駐を行つた。」を「南部仏印侵略を行つた。」と改変したものも軍部の右各行為を進駐と見た著者の見解を自らの見解によつて改変したものであり、(四)同書六三頁「独裁国家の如き姿となつた。」を「独裁国家の姿となつた。」と改変したのは、当時の日本を独裁国家と見なかつた著者の見解を自己の見解によつて改変したものであり、(五)同頁「敗戦の必至なことが一般国民にも容易に看取し得るようになつた。」を「敗戦の必至なことが大本営のデマ報道に入りびたりになつていた一般国民にもうすうす看取しうるようになつた。」と改変したのは、著者の書いた事実そのものを訂正したものではなく、原稿にない自己の認識あるいは意見を附加することにより、原稿に表示されている著作者の認識あるいは意見を改変したものであり、(六)同六四頁「東条内閣は周囲の情勢から総辞職を余儀なくされ、後継内閣として」を「東条内閣は総辞職、後継内閣として」と改変したのは、東条内閣が総辞職したという史実を訂正するものではなく、東条内閣の総辞職が周囲の情勢から余儀なくされたものであつたという著者の見解を自己の見解にもとずいて抹殺したものであり、また、(七)同六九頁「ヤルタ会談において秘密に米、英、華の間に」を「ヤルタ会談においてルーズベルトの発案で米、英、華との間に」と改変したのは、これまた史実の訂正ではなく、原文にあつた「秘密に」を削つたのは自己の見解にもとずいて著者の見解を省いたのであり、原稿になかつた「ルーズベルトの発案で」を加えたのは自己の史実と信ずるところを附加することにより、著作物の内容を改変したものである。しかも、以上のような附加訂正、削除等による改変が、すべて著作者宮本吉夫の事前の承諾を得たものではないのみならず、事後承諾を得ることができると予想されたものでもないこと並びに右改変の大部分は、申請人が自己の思想及び政治上の立場に基き信ずるところにとらわれてこれと相容れないものはすべて誤りであると確信し、「たとえ他人の著作物といえども自己の所信に反する記載あるものはそのままの形で出版させないことこそいわゆるジヤーナリストの使命である。」という、出版報道の自由と相容れない誤つた観念のもとに敢行されたものであることは、いずれも申請人本人尋問の結果に徴してこれをうかがうに足りるから、申請人の以上の所為は、まさに被申請会社就業規則第四条に違反し、しかも他人の有する表現の自由に思いを致さずジヤーナリストとして常識を欠く点において、その情状甚だ重いものがあるといわなければならない。もつとも、申請人が前記加筆訂正した箇所を一部原文に復したことは前叙のとおりであるけれども、それは同人の自発的行為ではなく、岡沢書籍部次長から前記の如く命令されたことによるものであり、前示未復原部分を残したのが仮に同日午後五時の終業時間までに完了し得なかつたためであるとしても、それは申請人が会社の職員就業規則第四条に違反する結果となる自説を固執して前記岡沢次長との論争に時間を費した結果であるといわなければならないから、一部復原の事実は、未だ前記情状をそれほど軽からしめるものではない。更に申請人は、昭和三四年四月被申請会社に一般編集記者として雇傭され、昭和三五年四月から昭和三六年一一月まで主として外勤記者として勤務し、同月以降出版局書籍部に勤務するに至つたものであることは前叙のとおりであるけれども、証人海野稔の証言によれば、会社においては、編集記者から出版局に配置転換されることは珍しい事例ではなく(特に出版局校正係約一〇名中六名は編集関係から配置転換されたものである。)しかも、編集記者として新採用された者は署名記事等についてほしいままに改変を加えてならないことなどはいわゆる新人教育により当然これを知悉している筈であることが疎明されるから、「会社が申請人を校正係に配置転換の後単行著作物の校正にあたり原文にほしいままに改変を加えてならない旨あらためて教育指導を受けなかつたから、前記原文改変は申請人の責ではない」という申請人の主張は採用できない。なお、申請人は、被申請会社出版局において同僚が校正の際本件の如き加筆訂正しているのが常態であつて、申請人は常にこれを見ていたと主張するが、申請人本人尋問の供述及び証人岡島昌夫の証言中それぞれ右主張にそう部分はいずれも証人岡沢孝晴の証言に照して容易に信用することができず、右主張事実を疎明するに足る資料はない。
然らば、申請人の前記原文改変行為は、前記職員懲戒規程第五条第一号、第八号、第六条第十六号に従い懲戒解雇されても致し方のない行為であるといわざるを得ない。申請人は、右行為は「報道」又は「論評」に際して行われたものではなく、「記事内容を故意に侵す行為」にもあたらないから職員懲戒規程第五条第一号に該当しないと主張するが、本件行為は報道又は論評に際して行われたものではないから右第一号自体にはあたらないけれども、校正に際し会社の職員就業規則第四条に違反して単行著作物の内容にほしいままな改変を加えたものであるから同条第八号の「会社の諸規則または諸規程に違反し前各号に準ずる行為をしたとき」に該当し、なお、その情状から見て同規程第六条第一六号の「前条に該当する行為があり、その情状が重いと認められたとき」に該当するから、被申請人が右第六条を適用して本件懲戒解雇に及んだのは右規程の適用を誤つたものと認めることはできない。従つて、本件解雇は懲戒の理由及び懲戒規定の適用のいずれからみても解雇権濫用ではなく、この点に関する申請人の主張は採用することができない。
三 以上の次第であるから本件解雇により申請人と被申請人との間の本件労働契約関係は、昭和三七年三月二四日を以て終了したものと認むべきであつて、右労働契約関係がその後も存続することを前提とする申請人の本件仮処分申請は理由がないものとして棄却すべきである。よつて、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 川添利起 園部秀信 松野嘉貞)
(別表)
頁
原文
校正による改変(傍線部分)
復旧(復)
未復旧(未)
五〇
蘆溝橋において日本駐屯軍が演習中
蘆溝橋において日本侵略軍が演習中
復
いつたん現地協定が成立したが、不幸中国側の発砲によつてさらに砲火が
いつたん現地協定が成立したが、(「不幸」をとる)中国側は日本軍侵入の事実の前には屈服するはずはなく、よつてさらに砲火が
復
陸軍は、同じ日に中国を威圧すべく、
陸軍はこれを口実に中国を威圧すべく、
復
五一
同じ東洋人であり、しかもわが国文化の恩人である中華民国
同じ東洋人でありながら(「しかも」をとる)わが国文化の恩人である中華民国
未
「暴支膺懲」に代えるに「東亜新秩序建設」の語をもつてし、
「暴支膺懲」に代えて欺瞞的ではあるが「東亜新秩序建設」の語をもつてし
復
その後事変解決のため不賠償非併合等を掲げた
その後事変の一方的解決のため不賠償非併合等を掲げた
復
五三
と述べて、当時は軍国主義に
と述べて、(「当時は」をとる)軍国主義に
未
軍国主義に追随せざるを得なかつた。
軍国主義に追随してしまつた
未
社会党右派
民主社会党
未
左派
社会党左派
未
単なる事変の名において事実上
単なる事変という偽称のもとに事実上
復
なんらの発言を許されなかつた。
なんらの発言もしなかつた。
未
五四
平沼内閣成立後まもなくソ連との間にノモンハン事件が起こり、
平沼内閣成立後まもなく軍部はソ連との間にノモハン事件を起こし
未
五五
ポーランドの進攻を開始
ポーランドへの侵略を開始
未
五九
日本は不介入の立場をとり、支那事変
日本は不介入の立場をとり、一方的ではあるが日華事変
復
支那事変
日華事変
未
六〇
北部仏印に進駐した。
北部仏印を侵略した。
未
南部仏印進駐を行つた。
南部仏印侵略を行つた。
未
六一
支那事変
日華事変
復
また政治家の意見に従わず、
また良心的政治家の意見に従わず、
未
そして自らが独走して戦争を決意し、
そして政界、財界の弱腰に乗じて自らが独走して
復
六二
意図に出たものといわれる。
意図に出たものともいわれるが
未
軍事行動を起こしてしまい、その後において八日の午前
軍事行動を起こしてしまい、形式的には(「その後において」をとる)八日の午前
復
八日の午前これらの所要の手続をとつたに過ぎなかつた
八日の午前対米英侵略について天皇認可の所要(「の」をとる)手続をとつた(「に過ぎなかつた」をとる)。
復
六三
その形態においては一国一党の全体主義国における選挙と類を同じくするものであつたことは否定できない。
その形態だけについてみれば一国一党の(「全体主義」をとる)国における選挙と類を同じくするものであつたといえよう。
復
独裁国家の如き姿となつた。
独裁国家の(「如き」をとる)姿となつた。
未
敗戦の必至なことが一般国民にも容易に看取し得るようになつた。
敗戦の必至なことが大本営のデマ報道にいりびたりになつていた一般国民にもうすうす看取し得るようになつた。
未
六四
東条内閣は周囲の情勢から総辞職を余儀なくされ、後継内閣として
東条内閣は(「周囲の情勢から」をとる)総辞職(「を余儀なくされ」をとる)、後継内閣として
未
六五
しかしソ連の態度は要領を得ず、
しかし独ソ全期を通じて満州の日本関東軍を強化し、幾度にもわたる国境侵犯などで対日不信をいだいていたこともあつてソ連の態度は要領を得ず、
復
六七
なおもこれに期待してその回答をまつ
なおもこれに空頼してその回答をまつ
未
六八
いたならば、原爆を用いなくても
いたならば残酷な原爆を用いなくても
復
六九
ヤルタ会談において秘密に米、英、華との間に
ヤルタ会談においてルーズベルトの発案で米、英、華との間に
未
決定を行ない、ただその時期を
決定を行ない、(「ただ」をとる)その時期を
未
その時期を選ぶことだけが残され、ポツダム宣言にも
その時期を独ソ戦終結三カ月後(すなわち結果的には八月八日)にすることに意見が一致していた。ポツダム宣言にも
復
事実上参画しながら作戦上これを秘していた
事実上参画しながら連合国側の作戦上これを秘していた
未
秘していたのにすぎなかつた。
秘していた(「のにすぎなかつた」をとる)。
未
一カ年間を有効であつたから、ソ連が日本を
一カ年間を有効であつたから、連合国の決定に従つたにせよソ連が日本を
復
ソ連が日本を背後から突如攻撃してきたときは、もちろん日ソ中立条約に対する明らかな違反であつたことはいうまでもない。
ソ連が日本を(「背後から突如」をとる)攻撃してきたときは、もちろん日ソ中立条約に対する明らかな違反であつたという見方もある。
未
ソ連は、満州、朝鮮にあつた日本人をソ連に送つて長年月にわたつて抑留して労務に服せしめたことは、「われ等は右条件により離脱することなかるべし」この誓約にも違背したものであることを忘れることはできないであろう。
ソ連は、満州、朝鮮にあつた日本人をソ連に送つて長年月にわたつて抑留して労務に服せしめたことは、「われ等は右条件により離脱することなかるべし」この誓約にも違背したものである。(「ことを忘れることはできないであろう。」をとる)。
未